有田健太郎のミニ小説のコーナーです。


by ariken_novel

かたつむりランデヴー『梅雨入り宣言』(前編)

カーテンを開けなくても雨だとわかる。
車が行き交う音がシャーシャーと長く尾を引いているし、鳥の鳴き声もない。
聴覚をぬきにしてもなんと言うか、雨の雰囲気でわかるのだ。

開花の隙を狙っていた小さなつぼみをたくさん携えたあじさい達は、今頃歌いながらポコポコと花開いているかもしれない。


見上げれば、親ツバメ達が忙しく飛びまわり

湿ったブロック塀には、かたつむり

わだちには、一瞬で消える大小の波紋、踊る水たまり

大粒にまとめられた雨が滴る軒下では、雨宿り

降りてきた大気に包まれた大都市は、しっとり


春を引き下げた季節は、そろそろ梅雨を出そうとしているようだ。

窓の外、赤と緑の傘がすうっとすれ違った。



毎年この時期になると、気象庁12階にある小部屋を想像してしまう。
今から話す物語は、雨の季節の物語。

梅雨課の連中は今日もきっと、思い思いに空を見ているに違いない。

さあ、あなたも見上げてごらんなさい。雨のにおいがわかりますか?


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毎年4〜7月の4ヶ月間、梅雨入りと梅雨明けを見極めるためだけに、気象庁には『梅雨課』が設置された。

もともと地下2階の設備室の隣に設置されていたのだが、「窓一つない部屋で梅雨が予測できるかぁ!」とブチ切れた山さんの迫力に負けた総務が、数年前に12階の旧印刷室へ移動させたのだ。

そんな日本の梅雨入りと梅雨明けの『見極め』を背負った梅雨課は、3人で構成されていた。


「やまさーん!
降ってきました。いい雨です。発表しましょう。梅雨入りです」

屋上からバタバタと駆け下りてきたタケシは、まるで自分が降らせたと言わんばかりに得意顔で、はぁはぁと息を切らしていた。

42歳とは思えぬ若さと貫禄の山さんは、窓際で競馬新聞を片手に大きく足を組んで、顔の向き一つかえない。

「わからんか。
これは梅雨じゃない。ただの雨だ」

「何言ってるんですか。衛星写真と気圧配置図を見てくださいよ。
それに過去のデータから割り出すと、この雨は絶対梅雨です。
大勢の人たちの週末の予定がかかってるんですよ。早く発表しましょう」

入社3年目のタケシはまだ仕事を任せてもらえず、その苛立ちから山さんにはよく食ってかかった。

競馬新聞をデスクに置いた山さんは、回転椅子をキィと鳴らし、もう一度窓の外を見た。

「…においが違う」

そう言うとタバコを持って出て行ってしまった。

「くそ〜、あのおやじ」

山さんの低い声の響きには妙に説得力があって、論議を交わす時、タケシはよく上ずってしまう。

確かに、総務に掛け合って扇風機からエアコンに変えさせたのも、自分の椅子を肘あて付きの高めのヤツに変えさせたのも、絵美のパソコンを新しく変えさせたのも、山さんの手腕だった。


「山さんね、においで雨の種類がわかるんだって」

パソコンでトランプ占いをやっていた絵美が笑った。

絵美はタケシよりも2年先輩で、梅雨課の4ヶ月以外は、ウィンドプロファイラという上空の風向風速を測定する部署に所属していて、風読みには長けていた。
そこでは、大気中に大きな風の乱れなどが生じた時に『管制塔や航空機に警報アナウンスを流すボタンを押す』という仕事をしていた。

梅雨課では、各地方気象台とのデータのやり取りや、梅雨入り、梅雨明け、が決定した時に『各メディア等に一斉に伝令を流すボタンを押す』というのを主な仕事としていた。

暇を持て余した絵美は、主にネット占いや、旅行情報、コンサートのチケット予約、
各地方気象台女性社員との『チャット広場』での活動に忙しくしていた。

「におい?
馬鹿げている。それじゃまるで『天気予感』じゃないですか。
おれらの仕事は、そんな甘っちょろいもんじゃないでしょう!」

「まーまー。
でも山さん、12年前からほとんど梅雨入り外したことないらしいわよ。
競馬はぜんぜん当たらないけどね」

「梅雨入りと競馬を一緒にしないでください!」

梅雨課にはたった一つだが、正方形の大きな窓があった。
窓はどっしりと絵の様に静かで、だけど、しっかりと降り始めた雨の街を映していた。


衛星写真は、東シナから三日月状に、ちぎれちぎれに尾を引いて伸びる雨雲の帯を映していて、それを挟む大小の高気圧の動きを読むのは、確かに難しい状況だった。


タケシは夕方、福岡地方気象台からの『九州地方梅雨入り宣言発令許可要請』を許可した山さんに、もう一度関東地方の梅雨入りを促したが、徒労に終わった。

「外で頭を冷やして出直して来い」

その言葉に頭に来たタケシは、飛び出してしまったのだ。


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その夜、不満が冷め止まないタケシは、絵美を誘って神田の『赤ちょうちん』で飲んでいた。

ネオン街を映す水たまりは、未だ落ちてくる雨に揺れていて。
『赤ちょうちん』は、早い時間にも関わらずサラリーマンの飛び交う愚痴で活気づいていた。

「ったく、ざけんじゃないっつーの。
おれは、過去のデータと気圧配置図をもとに予測してっから間違いないっつーの。
なーにが、雨のにおいだ。そんなのないっつーの。
明日、おれがガツンと言ってやりますよ」

早々に悪酔いしたタケシは、くだを巻いている。

「だいたいあの人、昼間いない時どこで何してるんですか?
絶対、ウインズ(場外馬券所)ですよ。いや、もしかしたら府中(競馬場)までいってるかもしれない。

それに、去年、あんなにハマってたプラモデルはどうしたんですか?
まったく飽きっぽいんだから。
まー、プラモのシンナー臭いよりは、競馬の方がましか…」

「やまさん、あんたのこと嫌いじゃないと思うよ」

「おれは嫌いです。しかし…
はぁぁ、なんでおれ、梅雨課なんかに配属されたんだろう。

せっかく気象予報士取ったのに。
テレビとかの前で、『明日は晴れ!自信度満点です!』とかやりたかったのに」

「火山噴火予測課よりはマシでしょ。さあ、もう帰りましょ」

「あの、絵美さん…
梅雨入り終わったら、あの、僕と…遊園地とか」

「たいへ〜ん!もう11時。さあ帰りましょ」

タケシの言葉をするりとかわした絵美は、伝票を持った。

時々頭の上に小悪魔のような黒い耳が見える時もあるが、それもしっとりと長いまつげとともに『魅力』として、憎めないのが不思議だった。
タケシの気持ちを知ってはいるのだが、付かず離さず、言わせないのもまた絵美らしい。


スーツ姿で溢れかえり、愚痴のピークを迎えている『赤ちょうちん』を出たタケシは、思わず立ちつくした。

水たまりは鏡のように静かで、あやめ色に光る『終着駅』というスナックの看板を映し出し。
突如暗がりへ駆け出し、空を凝視するタケシ。

雨はとっくに上がっていて、ビルに切り取られた狭い空の向こうは都会の光が入り乱れ、さらにその向こうに、かすかに瞬く星まで見つけたのだ。

「梅雨じゃない。ただの雨だ」

山さんの放ったあの言葉が、ずしんとのしかかり。酔いは足裏から一気に地面へと抜け落ち、タケシは崩れるように膝をついた。

『終着駅』から漏れてくる調子っぱずれの『天城越え』は、狭い路地で行き場をなくし、やっぱり空へと向かっている。

「雨のにおいねぇ。
フフフ、私にはわからないなあ」

肩にトントンと手を乗せた絵美は、まるでこうなることがわかっていたかのように、ほころんだ顔で空を見上げていた。





<後編へ続く> 
                        完全にフィクションです
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by ariken_novel | 2008-06-08 18:17