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有田健太郎のミニ小説のコーナーです。


by ariken_novel

かたつむりランデヴー『終着駅は始発駅』(中編)

その日は、初夏と言うよりも真夏を思わせるような青空で、誰もが梅雨を忘れる暑さに目を細めた。
日傘にハンカチ、Tシャツにワンピース。この分では昼過ぎの光化学スモッグに夕方の積乱雲まで想像できた。


梅雨課オフィスで、過去の気象データ処理をしていたタケシは鼻歌まじりでご機嫌である。

「さっきからご機嫌ね。なんかいいことあったの?
なに演歌なんて歌ってんの?」

アイスコーヒーを入てきた絵美が、隣のデスクから話しかけてきた。

シルク調のワンピースに、軽いウェーブをかけたほんのり栗色の髪。
透明に近いピンクのマニキュアに、低いサンダルヒール。
話しかけてくる絵美の雰囲気は、もうすでに夏休み気分である。

「いやぁ、別に…。でも、演歌っていいですよねぇ」

笑うかわりに、両肩を一瞬軽く上げ下げした絵美は続けた。

「ねえタケシ、今日久しぶりに『赤ちょうちん』行かない?
私、焼き鳥食べたくなっちゃった」

「あ、すみません!今日おれ、用事ありますんで」

「…ふーん」

「絵美さんもいつまでもプラプラしてないで、少しは将来のこと考えた方がいいですよ」

カチン!絵美の方から音が聞こえた。

「へぇー、なんだか余裕ね。
…もしかして彼女でもできたの?

まさか、演歌好きの飲み屋のお姉さんとかじゃないでしょうね?」

ぎくっ!タケシの方から音が聞こえた

「そそそそ、そんなんじゃないですよ!」

「ふ〜ん、そうなんだ。
あっはは、おかしい。
心配。タケシ、私心配だわ。絶対だまされたりとかしないでね。」

「ちょっと、そんなんじゃないんですって!」

それ以上聞く耳を持たない絵美は、忙しそうにデータの処理にかかった。



「そう言えば山さんは?」

「知らない」

「今日来るって言ってました?」

「知らない」

「明日、来ますかね?」

「知らない」

絵美は、敵に回したくない女である。


「…困ったなー、聞きたいことあるのに。あの人、もはや給料泥棒だよな。」

明け宣(梅雨明け宣言)予測日程の資料を山さんのデスクに持って行ったタケシは、『釣りトップ』『やさしい釣り入門』それに、スポーツ新聞の釣り紙面がデスクに広げてあるのを見た。

今度は釣りかよ…


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タケシが初めて、スナック『終着駅』に行ってから2週間が経とうとしていた。
あれからほぼ毎日のように顔を出し、『明日は晴れ!たけし』と書かれた安い焼酎ボトルも入れられ、演歌も数曲覚えたタケシであったが、狙いは他のお客と同様に『遥』であった。

意外なのは遥の方。
まんざらでもなさそうで、むしろ年下のタケシを愛らしく思っているようにも見えた。

深酒しそうな夜は姉のように注意し、酔いつぶれた時などは親身にタクシーにまで乗せ。
普段では絶対にお客の誘いには乗らないのだが、次の日曜なんかは、タケシの熱心な誘いに負け、水族館でのデートまで約束していたのだ。

タケシが舞い上がり、あれこれ綿密なプランを立てて望んだのは言うまでもない。



日曜日は、梅雨の切れ間の晴天で、この時期にしては珍しい好天だった。

サーファーにとって6月とは、もはや夏らしい。
波打ち際には、多くの波乗り達が濡れた体を光らせている。

防波堤に腰をおろした二人は、キラキラと果てしなく広がる青の世界の心地よさに、プラプラと足を揺らした。

南北に大きく千切れて停滞している低気圧のことや、どのサーファーが一番上手かなど。
タケシが生徒だった頃のお互いのイメージや、卒業後のクラスメートの行方など。

ほとんど一方的にしゃべるタケシの話を、時に口に手を当て大きく笑いながら聞く遥。

風が吹くとふわりと膨らむ白のスカートに、薄紫のカットソー。
広く開いている胸元には、やっぱりシルバーの小さな貝のネックレスがちょんと乗っていて、より彼女の白さを引き立てていて。
肩には、しっとりとした黒髪が分かれて落ちていた。

話せば話すほど遥の瞳はタケシに向けられ、その包み込む深い湖の瞳と向かい合いたいがために、タケシはさらに話を続けてしまうのだった。

まっすぐに見返す遥の瞳には、潤いがあった。
この潤いは、恋する女性の疑わない視線にも似ているが、稀に生まれもって持ち合わせた人間もいるようだ。
遥かの潤いは、前者とも後者とも判断はつきにくかった。


昼過ぎに、時間を決めた快速列車の先頭車両内で待ち合わせをし、別々の駅から乗り合わせ。
水族館と砂浜を回った二人は、私鉄で港の公園まで行き、その港で二日間しか停泊しないという帆船を見て。
それから都内へ戻り、予約したレストランで食事をする。

タケシが頑張って立てたデートプランは、順調に進み、終盤にさしかろうとしていた。


新宿は21時、公園は過ごしやすい居心地に、程よく人を集めていた。

街頭の明かりを半減させている桜の木の下、木製のベンチ。
ほろ酔いの二人は、長い沈黙でも気まずくならないくらいにまでに距離を縮めていた。


輪になって座り込み、缶ビール片手に騒いでいる学生達

ホームを作るダンボールを片手に横切ってゆくホームレス

見上げきれない目前の巨大ビル

肩を寄せあい、人形の様に固まってしまった恋人達

自転車を降り、腰に手を当て、学生達に注意を始めたおまわりさん


みんな他人、ここは気兼ねない自由な空間だった。


「子供の頃からの夢だった教師生活もダメで。
憧れていた結婚生活も結局ダメ。

それからずっとやりたかったことに挑戦したんだけど。
…事件があって、…結局ダメになって。

私はね、本当はタケシ君が思っているような女じゃないの。
きっと、もともと弱い人間なのね」

酔いも手伝ってだろう、弱音を漏らした遥はクスリと笑い下を向いた。

自分にとって、絶対に強い存在であった遥の意外な部分を目の当たりにしたタケシは、驚いた。

彼女は、話す相手がいても、ずっとそれを話さずに一人で生きてきたのではないだろうか。
弱さを少しも感じさせない彼女の一瞬の隙を、自分に見せてくれたことが嬉しく、またそんな彼女が切なく思えた。

「いつだったかな、先生の『確率』の授業…、面白かったです。

あなた達が大学に受かる確率は『合格』か『不合格』、2分の1ではないんですよ。って。

頑張れば頑張るほど確率は高くなるし、頑張らなければ限りなく確率は低くなる。

だから、夢に近づくために少しでも頑張りなさい。って」

薄い緑色のハンカチを握りしめた遥は、笑った。

「それに、あの時先生、めずらしく熱かったよ。

人間界に100%と0%はない!って。

どんだけ頑張ったってダメなこともあるし、どんだけダメに見えてもうまくいったりすることもあるし。
だから、ダメでもあきらめずに頑張りなさい。って」

「そんなこと言ったっけ」

笑いながら頑張って言った遥は、もうタケシの方を見ることができなかった。
瞳から溢れ出した潤いは、もうまつげにしみ込みはじめていて。
その横顔は悲しいくらい奇麗で、女性だった。

「うわ〜、忘れてんだぁ。ひどい」

二人はそれぞれ下を向いたまま笑った。


小康状態を保っていた晴れ間の気圧配置は、音もなく崩れ始めていたようで、変わった風向きはタケシにそれを気づかせた。

「はい。先生。…これ」

バックから取り出した小さな縦長の箱には、ブルーのリボンが縦横にかけられていた。

タケシは、頂けない、と真顔で首を振る遥の手に半ば強引に小箱を乗せた。

その中身は、銀色に光る小さな貝のネックレスだった。
本当は、どのようなものがよいか絵美に一緒に店まで付いてきてもらおうと思ったのだが、そんな事を頼めるはずもなく、恥ずかしながらもアクセサリー店で一人で頑張って選んだものだった。

「…ありがとう」

両手の上の小箱から目を上げた遥は、タケシを見た。
その瞳には、先生の要素やホステスの要素は混じってなく、その分、しっかりとタケシが映っていた。

「おれ…」

遥かはその続きを遮るように体を向けた。

「タケシ君。実はね、私。あなたに話さなければならないことがあるの…」

その時、突然の青白い最大出力のフラッシュとともに雷鳴が轟いた。

雷鳴はビルの間をピンボールのボールように飛び回り、その余韻は雷神のパワーをさらに誇張した。

斥候の雷を皮切りに、大粒の雨が葉を広げる桜の木をも貫通して二人にも落ちてきた。
午後の気温の上昇で発達した積乱雲が、遅い夕立を降らし始めたのだ。

雨は、全開のシャワーのような勢いとなって、みるみる地面を染めてゆく。
二人は、地下鉄の入り口に向かって走り出した。

自由な公園は雰囲気を一変させ、みんな戦争映画の奇襲シーンように頭にバックをのせて、四方駆け逃げてゆく。

雷神は、今度は大小の爆弾の山から両手に一つずつ持つと、天上から狙いを定めて、たて続けにそれらを投げ落とした。

フラッシュと雷神の笑い声と叩きつける雨粒の中、二人は手をとり合って走った。

走りながら二人はいつのまにか笑っていた。本当に笑っていた。

「うおーーー!」

雷に負けじと、ずぶ濡れのタケシは叫んだ。遥も大きな声で笑っている。

「うおーーー!」


大きく開けた口に飛び込んできた雨は甘く、軟らかく。

記憶は一瞬、遠い遠い昔に飛んで行ったが、古すぎて乱雑な記憶の棚にその味は見つけることができず、再び光のように戻ってきた。

ただ。ただ、懐かしい味がした。
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by ariken_novel | 2008-07-15 18:58